33回生医歯合同クラス会
| 開催日時 | 2026年2月21日(土) |
|---|---|
| 会場 | 東京ガーテンパレス |
| 回生 | 33回生医歯合同クラス会 |
| 報告者 | 影山幸雄(医33・昭60卒) |
2026年2月21日(土)に東京ガーテンパレスに於いて33回生のクラス会を開催しましたのでご報告いたします。私どもの学年は医学部・歯学部合同での開催が恒例となっており、他の学年ではあまりみられない仲の良い学年となっております。私どもは大学入試に共通一次試験が導入された初めての年代であり、当時はいわれない悪評をいただいたりもしましたが卒後40年が経過した今振り返ってみると国会議員になられた櫻井 充先生を始めとして様々な形で社会に大きく貢献し、指導的立場で活躍されている優秀な同窓生が揃っています。皆さんそれぞれの分野で多忙を極め、なかなか集まる時間が取れないということもありしばらく同窓会の開催が途絶えておりました。そのようなわけで今回は2015年5月31日に医科同窓会館で開催してからほぼ10年ぶりとなります。今年で定年退職を迎える同窓生も多く、また卒後40年という大事な節目でもあり、日程を調整してなんとか開催に漕ぎつけました。
今回は中村勝文歯科同窓会長、林 洋医科同窓会理事長に来賓として参加いただき、参加者は医学部33名、歯学部33名で総勢68名の出席となり賑やかなクラス会となりました。歯学部石渡靖夫先生に総合司会をお願いしました。最初に歯科、医科同窓会長からご挨拶いただき、その後歯学部依田哲也先生に乾杯の発声をお願いしました。次いで医学部内田信一先生から、東京科学大学の名前で国際卓越大学に選ばれたことについてのご報告がありました。また歯学部一條秀則先生から近況報告をいただきました。恒例となっています内田千代子先生のフラメンコですが今回は膝にサポーターを装着されてのご披露となりました。年齢を感じさせないダイナミックなパフォーマンスに参加者一同圧倒されました。予定の2時間があっという間に経過、最後に歯学部大隅典子先生から近況報告とともに閉会の言葉をいただき近況もお話をいただきました。
最後に受付や準備を手伝っていただいた、医学部中村桂子先生、歯学部渡邊俊一先生、中西宏之先生ありがとうございました。年齢から考えて開催頻度を増やしてみてはどうかという意見もいただきました。3年ぐらい先の開催を目指して調整したいと考えております。
参加者
〇医学部(50音順・敬称略)
青井東呉、阿部恵一郎、新井俊成、石川雄一、市村幸一、稲瀬直彦、内田信一、内田千代子、
大友建一朗、影山幸雄、梶浦 謙、佐藤之俊、滝口典聡、辻野元祥、中尾清孝、長島梧郎、
長野展久、中村桂子、新村文男、橋添元胤、長谷川 穀、広岡一信、廣川和憲、袋 秀平、
外間力人、前田邦三、松岡 正、松村 剛、光畑由美子、三苫 博、南 康博、三宅康史、若林伸一
| 開催日時 | 2025年11月15日(土) |
|---|---|
| 会場 | お茶の水医学会館7F「ラウンジ」 |
| 回生 | 医16回生クラス会 |
| 報告者 | 市橋秀夫 (医16・昭43卒) |
11月15日(土)にお茶の水医学会館7Fラウンジでクラス会を行いました。
卒業して57年がたちました。当時43青医連といって、連日クラス討論会の日々の政治の季節に卒業しました。思想的・政治的立場にはいろいろあったけども、今はそれも思い出となりました。わずか40名のクラスのうち14人が集まったのは、私たちが青年時代に濃い親密関係が続いていた証左だと思います。そういえば病気のことで××君に世話になったねという感謝の言葉も多く語られました。それぞれ病気を大なり小なりを抱えていますが、元気で前向きなのでパワーをもらった感があります。会うと馬鹿をいっていた20歳代の昔の感覚が蘇ってきました。激動の時代であったのにもかかわらず、みなそれなりに学会や地域での臨床指導者として活躍していたのにも驚かされます。
残念なことに今年も金城進先生と中里全宏先生の二人を失いました。二人とも温厚で人望のある人でした。金城君の沖縄でクラス会を持ったことを思い出します。全員でご冥福を祈りました。
古い映画を見ていたら、当時あった牛乳屋、駄菓子屋、貸本屋、町の本屋はとうになくなり、学生時代に入り浸っていた喫茶店もなくなって久しくなりました。お茶の水の「レモン」という画材屋に行ったら、油絵の具がなくて、あるのはアクリルだったのにはびっくりしました。そういえば週刊誌、新聞、パチンコ店、カラオケなども消え、本は読まれなくなり、思索よりも情報の時代に入った感があります。それが良いことなのか悪いことなのかはわかりませんが、私たちは昭和という時代を駆け抜けてきたんだなという感じがします。依田君から自作栽培のシャインマスカットが配られました。
来年の再会を約束して楽しい会を閉じました。
参加者
後列左より:上野格成、小山崇夫、芝田敏勝、古川 眞、市橋秀夫、福井 巌
長井 章、角尾 肇
前列左より:山本淳一、本田正樹、平賀聖悟、川井紘一、依田安弘、高野尚志
| 開催日時 | 2025年11月24日(土) |
|---|---|
| 会場 | お茶の水医学会館7F「ラウンジ」 |
| 回生 | 医14回生クラス会 |
| 報告者 | 本宮 武司(医14・昭41卒) |
我々の学年は令和8年卒業後60年を迎えます。入学した昭和35年の入学金は1,000円、年間授業料は9,000円、医学部の学費合計55,000円で卒業し医者になったことになりますが、当時サラリーマンの平均初任給が約13,000円なのでそれほど安かったとは思いませんでしたが、今では感謝しています。
今年は5月の国府台教養部バスツアーのクラス会に引き続いて11月24日(土)にお茶の水医学会館「7Fラウンジ」で2回目の集会が開催されました。参加者は小川小夜、小松清秀、桜井徹志、桜井芳樹、進藤勝久、菅田安男、瀬尾威久、平山靖子、本宮武司、山科正平の10名に菅田夫人が加わり総勢11名でした。石神重信君が久しぶりに出席の予定が直前に腰痛悪化し欠席になりました。卒業時49人いた同級生が櫛の歯の欠けるように減って、残っている我々も若くて83歳、最高齢は91歳で認知症、脳血管疾患、心疾患、がん、骨粗しょう症、関節疾患、視力障害、難聴、サルコペニア、フレイルなどの老人病に悩まされているのが現状です。
進藤君は外科医でPL病院の院長ですが経営が苦しく年末のボーナスの支払いが困難と嘆いています。最近では銀行も融資に応じないとのこと。厚労省の発表では国公立病院や民間病院を含めた一般病院の6割が赤字とのこと政府の救済策が急がれます。山科君は北里大学名誉教授ですが解剖や組織の著書が多いなか9月に「いのちが輝く瞬間」という20年来アフリカやカナダ、北海道など各地を旅して撮影した動物の写真と随筆の本を出版しました。本宮は執筆や学会活動からは遠ざかっていますが毎日外来に出て患者を診ています。
参加者
前列左より:菅田夫人、平山、桜井(芳)、小松、小川
後列左より:山科、本宮、菅田、桜井(徹)、瀬尾
| 開催日時 | 2025年11月3日(月・祝) |
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| 会場 | お茶の水医学会館9F「大会議室」 |
| 回生 | 医55回生クラス会 |
| 報告者 | 笠井(安濟)祥子 |
2025年11月3日、医学部55回生の同窓会が、お茶の水医学会館にて開催されました。前回から気付けば18年という歳月が流れていましたが、幹事の竹中君・吉岡君の学生時代から変わらぬ求心力のもと、遠くは愛知・九州からも仲間が駆けつけ、総勢24名が一堂に会しました。
会は和やかな雰囲気のうちに始まり、簡単な挨拶が交わされるにつれ、自然と学生時代の空気がよみがえりました。近況報告では、医療現場での挑戦やキャリアの転機、各診療科ならではのこぼれ話、地域医療への貢献など、18年間の歩みを象徴する様々な話題が披露されました。また、家庭や子育て、地域活動といったプライベートの喜びも聞かれ、それぞれが歩んできた人生の広がりが感じられる時間となりました。
専門分野も勤務先も異なる中、互いが抱える課題や思いには共通点も多く、日頃はなかなか語れない本音が自然とこぼれるのは、同級生という特別な存在だからこそです。18年分の軌跡を静かに、時に笑いを交えながら共有したひとときは、2時間という短い時間でありながら、心に残る交流となりました。
2024年には東京医科歯科大学から東京科学大学へと統合され、大学として大きな変革の年となりました。御茶ノ水駅周辺も再整備が進み、学生時代とは大きく異なる姿へと生まれ変わっています。参加者からは「懐かしさと同時に時代の流れを実感した」との声も多く聞かれ、環境の変化が自身の歩みを振り返り、今後の糧とする良い機会ともなったようです。今後も55回生としてのつながりを大切にしつつ、それぞれの場で医療者としての責務を果たし、母校のさらなる発展に貢献できればと思います。
会の終盤には、「今後は同窓会を2〜3年ごとに定期的に開催していこう」という意見で皆がまとまりました。残念ながら今回連絡が取れなかった方々もいらっしゃいます。この記事をご覧になった同級生の皆さまには、同窓会への参加や周囲の仲間へのお声かけを、ぜひお願い申し上げます。
参加者
安濟(笠井)、稲毛(久保田)、上原、牛尾、大島、大庭、小倉、小林、銭谷(三澤)、髙瀬、髙橋(西澤)、竹中、田中(宇野)、塚本(清水)、辻、中嶌、中筋、中村(齋藤)、細矢、本田、三原、八木(雅)、山城(永田)、吉岡
| 開催日時 | 2025年10月26日(日) |
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| 回生 | 医28回生クラス会 |
| 報告者 | 石田孝雄(医28・昭55卒) |
さる10月26日に旧東京医科歯科大学28回生の同窓会が開催されました。卒後45年の幾星霜を経て、39人の同期生が再会しました。卒業生の半分が集まったことになります。実は5年前にも企画されていたのですが、コロナ騒ぎで同窓会開催がやむなく中止になったいきさつがあります。東京科学大学の設立に多大なる貢献をされた同窓の田中雄二郎君の学長就任のお祝いを兼ねて、遅くはなりましたが、今回の同窓会の開催に至りました。冒頭、田中君から東京科学大学についての設立と現況のご報告をいただきました。日本のみならず世界に冠たる理系総合大学をめざし、日々、学生・教職員が不乱に励んでいる由をお聞きし、さらなる母校の発展を確信しました。
卒後、研究に一身を捧げ励んだ者、日々臨床に汗を流した者、あるいは教育、行政に貢献した者、それぞれ立ち位置は違えど、集まった各人の顔には、医学・医療を生業として過ごしてきた自負と自信に裏付けられた安堵感が感じられました。
すでに古希を迎え、白髪と皺が目立ち、中には背中の曲がった初老のひとがいて、最初は「おまえ、誰?」といい出しそうになりましたが、少し話せば、声としゃべり方には全く変わりなく、名乗らなくても「ああ、○○か、久しぶり。元気か!」すぐにあの頃に戻って思い出させるのが、6年間一緒に学んだ同期生の強みです。まさに、「朋あり遠方より来たる、また愉しからず哉」の言葉どおり、志を同じくしてきた者どうしの再開となりました。歓談の中、今回の目玉の一つであるタイから参加してくれたティーラウッ・クーハプレマ君(元タイ国立がんセンター総長)の話がありました。タイからの留学生で6年間蛍窓をともにした懐かしさがこみ上げ、会は最高潮に達しました。わざわざ、タイから持参していただいたTMDUロゴ入りのCapをプレゼントしていただき皆ご満悦でした。入学早々、体力の低下したひ弱な「医学生の卵」を締めあげた「里見公園ランニング」、時間が間に合わず剖出のために夜中まで続けたハード解剖、やっとここまでたどり着いたぞ感激の重五郎教授「内科総論」、など話は50年前にまで遡り愉しい時間を送ることができました。5年後は卒後50周年、その時には齢八十を超える猛者もおり、再会を誓いながら笑顔で散会しました。
参加者
50音順(敬称略)
石田孝雄、伊藤 宏、伊藤千鶴、伊藤雅史、江川直人、久保善朗、鬼頭清裕、清松瑶一郎、久保田耕造、河野道広、斉藤泰則、斉藤泰則、相良哲朗、七里真義、鈴木秀典、田中雄二郎、辻林 隆、ティーラウ、寺本研一、永井完侍、長江光芳、延澤 進、畑 裕子、原田宏美、平田りえ、福井俊哉、町山るり子、松倉充人、松島英介、松永祐治、丸山道生、村上三郎、元雄良治、本橋 豊、本橋伸高、山田正仁、吉沢正文、渡部誠一
| 開催日時 | 2025年6月15日(日) |
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| 会場 | お茶の水銀座アスター |
| 回生 | 医12回生医歯合同クラス会 |
| 報告者 | 廣川勝昱(医12・昭39卒) |
卒業して60年以上、平均年齢86歳以上の医学部・歯学部12回生のクラス会を2025年6月15日、お茶の水銀座アスターで開催しました。大学では12回生ですが、国府台の教養部についてみると、1回生になります。
医12回生は入学時45名前後、現在連絡可能な人は22名で、そのうち19名から返事があり、出席可能が11名(5名は夫婦同伴)、欠席が8名、返事なしが3名でした。歯学部12回生は佐藤敏郎先生が責任者となり、連絡を取ってもらった結果、入学時60名以上でしたが、今回の同窓会の出席6名(うち1名はあとで欠席の通知あり)、欠席14名、返信無し7名でした。欠席者のハガキの文面には、闘病中である人が多かった。医学部の椎貝先生は、歩行障害があり、歩行補助器具を使って、名古屋から新幹線を使い、奥様と娘さんの補助があって、参加してくれました。基本的には、皆、元気な同窓生ですから、当然昔をしのんで、会話が弾み。中には、現在も続けている仕事の紹介をする人もいました。
全般的にみんなが心配しているのは、高齢者の認知症です。人の名前がすぐ出てこないこと、忘れやすいことなど、いずれも、軽度認知症の初期症状です。12回生は戦前生まれで、どこかで戦争を体験し、敗戦後に白人・黒人の進駐軍米兵と会い、戦後の食糧の少ない窮乏期を生き延び、朝鮮戦争(1950~1953)による経済復活を体験した世代です。
私は東京の北にある板橋で生活していましたが、水道水はでないので、井戸ポンプを使っていました。電話は数家族に1台、汲み取り式便所でした。朝鮮戦争が終わってしばらくすると(1955~1960)白黒テレビ、冷蔵庫、洗濯機が使えるようになりました。東京オリンピックが1964年ですから、その頃から生活の向上が目に見えてきたのですが、この1964年に12回生は東京医科歯科大学を卒業したのです。私はインターンを終え、病理学教室に大学院生として入りました。病理では外科病理診断、病理解剖診断が仕事ですが、レポートは英語で書くことになっていましたが、手動のタイプライターを使っていました。ワープロが使えるようになったのは、1980年代で、携帯電話が普及したのは1985年代です。そして、忘れてはならないのがベトナム戦争で、1964年から始まり、終わったのが、1975年です。私はNIHに留学したのは1972年から1974年までですから、ベトナム戦争のことはよく覚えています。こんなことは今から50年も前のことですが、我々12回生にとっては、昨日のようなことで、それを話し合えるのがクラス会なのです。
| 開催日時 | 2025年5月10日(土) |
|---|---|
| 会場 | 国府台教養部 |
| 回生 | 医14回生クラス会 |
| 報告者 | 小川小夜(医14・昭41卒) |
国府台教養部見学バスツアー印象記
5月10日12時、聖橋際の集合場所に集まった旧友は岡田、小松 清、桜井 徹、桜井 芳、菅田、瀬尾、中野、山科、小川の9名、菅田夫人も加わり総勢10名です。数年前まではクラス会と言えば20名以上が参加したものですが。しかも10名のうち本当に元気なのは数名で他はどこかに問題を抱える、気だけは若い御老人ご一行様。
今日は65年ぶりに若き日を過ごした(本当に若かった!!)国府台の教養部を訪ねるのです。みんなうきうきしています。山科の手配したサロンカーに乗りこれも山科の手配したアスターの中華弁当を食べているうちにあっという間に国府台に到着。市川周辺は昔の面影はありませんでしたが国府台駅からの切通の道は昔のまま、ただ和洋女子大と国府台病院は立派な建物に変っておりました。勿論我が医科歯科大、いえ東京科学大学でしたね、も立派な建物が何棟も建っておりました。昔の木造の国府台牧場の名がぴったりの私たちの青春がつまったあの懐かしい木造校舎は影も形もありません。当然の話で、65年前の物があるわけありません。それでも昔の若者達は階段教室は何処だ?とか、運動場はこの辺だったとか思い出の場所を確認しあっておりました。なお校舎棟はヒポクラテスホールといい、福利厚生棟(学生ホール)はシャン・ドウ・コーズリー?と命名されています。
土曜日の午後だというのに2名の職員の方があちこちを案内して下さり、くだらない質問にも丁寧に答えて下さいました。驚いたのは教養部に通うのは1年だけだそうで、2年目からは聖橋(私たちだとお茶の水といいますが)へ通うそうです。2年あってこその教養だと私たちが不満をいっても仕方ありません。また、一組何名ですか?という質問が解らないようなのでA組とかB組とかあるでしょう?と尋ねたら組というものはないとのことで、生徒は履修科目毎に教室に集まるのだそうです。
皆が一番どよめいたのは、管理研究棟にある歴代教養部長の写真が掲げられている部屋でした。あの当時、教養部長って存在を知っていましたか? 初代長尾優先生、二代小島先生(あの化学の先生)、続いて河野伊三郎先生(最初の授業が行列式でした)、矢島先生(コンラッドの闇の奥が試験に出ました)、原先生(B組の担任だった?)など昔教わった先生方がえらくなられ、当時の先生方より遙かに年上になったわれわれを上から見下しておられます。皆でひとしきり叱られた思い出、試験に落ちた思い出などに花がさきました。
建物の外も綺麗に整備されていて、緑の小山の法皇塚古墳(今回初めて存在を知りました)を見てから一番奥の野球場まで歩きました。昔、結核病棟と兵舎を転用した学生寮のあったところはピンクの留学生用宿舎などが立ち並んでおります。テニスコートは元の場所にありましたが4面に増え、多数の学生が練習していました。その学生達のトレーナーの背には大きく東京科学大学とあり、世の中変ったとひしひしと感じた次第です。
2時間ほどの母校訪問の後は里見公園に向かいます。昔、何も無かった公園も立派に整備され、丁度バラ祭りが開催されておりました。思いがけず沢山のバラに囲まれ、バラの香りに包まれ幸せな気分になりました。最後に江戸川のほとりで昔と同じ江戸川の流れを見て、受験勉強で学んだ方丈記の冒頭 『ゆく河の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず・・・』を思い出したのは私だけではないでしょう。
帰りのバスでは山科持参の栗のお饅頭を美味しく頂きながら定刻4時にお茶の水に戻り次回のクラス会での再会を期して散会しました。
今回の集まりはすべて山科先生の企画、準備、実行によるものです。新著の発行で忙しい中、クラスのために尽力いただき誠に有り難うございました。また国府台教養部の福島忍様、川本幹様には休日の日にも拘わらず長時間お付き合い頂きお蔭様で楽しい訪問ができました。厚く御礼申し上げます。
参加者
左より:桜井徹志、岡田、菅田、中野、桜井芳樹、山科、小川、菅田夫人、小松、瀬尾
写真:教養部福利厚生棟(シャン・ドウ・コーズリー)前で記念撮影
| 開催日時 | 2025年2月22日(土) |
|---|---|
| 会場 | 銀座アスター御茶ノ水 |
| 回生 | 23回生医歯合同クラス会~卒後50周年記念~ |
| 報告者 | 西元慶治(医23・昭50卒) |
去る2月22日(土)16:30から、新お茶の水ビル21階の銀座アスターにてお茶の水医科同窓クラス会が歯科同窓生と合同で行われました。われわれは1969年入学、1975年(昭和50年)卒業ですから、実に卒後50年になることになります。医学部からは28名、歯学部からは36名の方々が参加されました。来賓には医科同窓会理事長林洋先生と、歯科同窓会理事長中村勝文先生にご来駕の栄を賜りまして、有り難いご挨拶を頂戴いたしました。物故者医学部12名、歯学部9名に対して謹んで哀悼の意を込めて黙祷いたしました。
恒例の参加者全員の集合記念写真を撮影いたしました。結果はご覧のとおりであります。その後、数々の美食を楽しみながら、教養時代のA組、B組、C組の古いクラス分け順に壇上に登って、各自1分以内で近況報告などを話してもらいました。某国大統領のように時間を長々と独占し長広舌をぶつような無教養の御仁はおられず、紳士、淑女然としたお話しぶりできっちり予定時間内に終了いたしました。
往年の紅顔の美少年も、湯島小町の面々も50年もの風雪にさらされてはいささか経年劣化は否めないところではありますが、まだまだ多くの諸君が意気軒昂、色気満々で後輩の鑑たらんとする気迫に満ちていたのはさすが「医科歯科学」出身者と感服した次第です。
皆さんのこれからも千代もと続くご健康と幸福をお祈り申し上げ、23回生クラス会報告といたします。
参加者
〇参加者(医科のみ・敬称略)
石﨑朝世、石塚典生、足達淑子、遠藤 健、川満富裕 、川満久恵、小林雅文、木村文平、久保田俊郎、有波忠雄、齊藤信義、佐藤良治、鶴田 耕二、田中道雄、竹村克二、西元慶治、松岡芳子、前田健二郎、三高千惠子、峯 博子、山口武兼、村上喜三雄、加来 裕、宮本二郎、奈良信雄、渡邉 博、中井 修、三戸康義
| 開催日時 | 2025年2月15日(土) |
|---|---|
| 会場 | ホテルメトロポリタン池袋 |
| 回生 | 医30回生クラス会 |
| 報告者 | 清原鋼二(医30・昭57卒) |
2025年2月15日(土)池袋のホテルメトロポリタンにて、クラス会を開催しました。
前回が2017年でしたが、コロナ禍などもあり、開催が延期になり、8年ぶりの開催となりました。30回生29名、ご来賓として林 洋医科同窓会理事長をお招きし、30名での開催となりました。
幹事の土井君より開会の辞を行い、6名の物故者を追悼したのちに、林 洋理事長に東京科学大学の成り立ちとして、東京工業大学との出会い、今後への展望、現況を含めたお話を交えながら、会のお祝いの言葉をいただきました。引き続いて、大川君の乾杯の発声で、祝賀会が開催となりました。大川君も大学に長くいた関係で、以前の早稲田大学との研究協力から始まって、今回の東京工業大学とのつながりに至る経緯も聞くことが出きました。その後は、歓談を行いながら、近況報告を各自1-2分程に、コンパクトに伝えていただきました。勤務医として職場や立場がかわったり、開業医も含め、徐々にtaperingを考えていたりする人、全国の講演に力を注ぎ、まだまだ回数を増やして頑張りたい人、朝から晩まで読書にふけっている人、これからが本当の人生だと宣言した人などなど様々でした。それでも、しばらくぶりに会えたこともあってか、たいへん生き生きとして、楽しそうに皆で語らっている姿が印象的でした。
クラス会に先立って、東京科学大学の状況や基金について、東條副学長と下田次長が会場近くに来ていただいて、様々な情報と今後に向ける熱意をたくさんいただきました。参加者に配布の資料や記念品もいただきました。今回は余剰金の寄付までは至りませんでしたが、今後に向けて、母校ならびに後輩たちの将来のために、個人並びにクラス会としての協力を皆に呼び掛けることもできました。東京科学大学、特に医学部のこれまで以上の発展を祈っております。
1次会終了後は、同じホテル内のダイニングバーで2次会を開催し、20名の方が夜遅くまで残って、楽しく飲んで語らっていただきました。
今回小児科が幹事でしたが、次回は外科、胸部外科、整形外科を主体に開催予定です。
参加者
参加者(50音順・敬称略)
揚石義夫、池田正行、石田 博、内原俊記、内原正勝、大川 淳、鬼木俊行、折田正人、河合 誠、狩野方伸、
北川 啓、木下晴之清原鋼二、坂元 薫、佐野隆夫、上甲裕継、陶守敬二郎、関野高弘、仙頭正四郎、高清水一善、
辻井俊彦、土井庄三郎、永井 鑑、中村裕一、野々山恵章、西尾康英、山本信彦、吉岡はるみ、渡辺孝之
| 開催日時 | 2024年12月15日(日) |
|---|---|
| 会場 | 銀座アスター(御茶ノ水賓館) |
| 回生 | 医35回生クラス会 |
| 報告者 | 森田 恭一(医35・昭62卒) |
医35回生同窓会(珊瑚会)が、令和6年12月15日、年の終わりも迫りくる中で、銀座アスター(御茶ノ水賓館)にて無事に執り行われました。
東京科学大学の看板になる前にみんなで集おう、その願いを合言葉にして、現代ならではのSNSの恩恵も活用したりもしながら、北は北海道から南は沖縄まで、はたまたアメリカはSan Diegoから、集ってくれた方もいました。
素晴らしい眺望のビルの21階から、目と鼻の先に母校を眺めやることができ、『東京医科歯科大学』の大きな看板文字も、まだ変更されておらず、「名残惜しいね、見納めだね」。
濱田(旧姓・江口)さんが北海道三笠に所有しているブドウ畑で栽培されたブドウを、自家醸造・熟成されたワインでの乾杯で開始されました。会場のあちらこちらで「おいしい!!」の声のシンクロ。
残念ながら逝去された、佐藤君、矢吹君、小竹君、河内君、彼らを偲ぶ思い。久闊を叙す何気ない挨拶。その瞬間に触発されて、学生時代の健気に医学を志す初心に戻れたり。明日から離れ離れになるとしても心の中では、『こういう繋がりに支えられて明日も頑張って行こう』とも。「同窓会をしてみようよ」というシンプルな思い付き。これが、喜びと笑顔の充実した時間に想定以上に育ち、『参加すればこそ』の満足した思いと表情が会場を最後に彩りました(森田)。
謝辞:同窓会したいね、とSNSのやりとりからふたりで話したのは、河内くんの訃報に驚いたほんの数日前。四十九日があけてから、森田くんが日時場所の決定や交渉をしてくれて、全員の連絡先を調べ、直前まで粘り強く大学時代の思い出を織り交ぜた楽しいメールでみんなを誘ってくれました。おかげで大勢の同級生が集まってくれました。終了後も、参加した方々からは喜びのメールが、残念ながら今回参加できなかった方からは、次回はぜひ参加したいと連絡があり、温かい気持ちになっております。みんなを代表して、森田くんに感謝の気持ちを伝えたいと思います。本当にありがとうございました(塩田)。
(なお、濱田さんのワインは、年2回春・秋に農園のホームページから発売されます。『検索→ハマダヴィンヤード』で、皆様お願いします!)
参加者
〇参加者(敬称略)
後列左より:村上俊一、吉池信男、中島孝敏、宍戸恒郎、菅野一男、篠原一彰、竹中千昭、安野正道、坂本直哉、尾林 聡、杉本太郎、大矢和宏、奥野哲男、已斐秀樹
中列左より:岩上昌義、佐次田保徳、松村昭彦、権 成基、野口 修、森 耕一、浅賀洋一、西村健司
前列左より:濱田恭子(江口)、KEONG CHIN HUAI、森田恭一、塩田敦子(内田)、中村佳子(沖田)、丸山俊昭
















