同窓会活動のご案内

23回生医歯合同クラス会~卒後50周年記念~

開催日時 2025年2月22日(土)
会場 銀座アスター御茶ノ水
回生 23回生医歯合同クラス会~卒後50周年記念~
報告者 西元慶治(医23・昭50卒)

 去る2月22日(土)16:30から、新お茶の水ビル21階の銀座アスターにてお茶の水医科同窓クラス会が歯科同窓生と合同で行われました。われわれは1969年入学、1975年(昭和50年)卒業ですから、実に卒後50年になることになります。医学部からは28名、歯学部からは36名の方々が参加されました。来賓には医科同窓会理事長林洋先生と、歯科同窓会理事長中村勝文先生にご来駕の栄を賜りまして、有り難いご挨拶を頂戴いたしました。物故者医学部12名、歯学部9名に対して謹んで哀悼の意を込めて黙祷いたしました。
 恒例の参加者全員の集合記念写真を撮影いたしました。結果はご覧のとおりであります。その後、数々の美食を楽しみながら、教養時代のA組、B組、C組の古いクラス分け順に壇上に登って、各自1分以内で近況報告などを話してもらいました。某国大統領のように時間を長々と独占し長広舌をぶつような無教養の御仁はおられず、紳士、淑女然としたお話しぶりできっちり予定時間内に終了いたしました。
 往年の紅顔の美少年も、湯島小町の面々も50年もの風雪にさらされてはいささか経年劣化は否めないところではありますが、まだまだ多くの諸君が意気軒昂、色気満々で後輩の鑑たらんとする気迫に満ちていたのはさすが「医科歯科学」出身者と感服した次第です。
 皆さんのこれからも千代もと続くご健康と幸福をお祈り申し上げ、23回生クラス会報告といたします。

参加者

〇参加者(医科のみ・敬称略)
石﨑朝世、石塚典生、足達淑子、遠藤 健、川満富裕 、川満久恵、小林雅文、木村文平、久保田俊郎、有波忠雄、齊藤信義、佐藤良治、鶴田 耕二、田中道雄、竹村克二、西元慶治、松岡芳子、前田健二郎、三高千惠子、峯 博子、山口武兼、村上喜三雄、加来 裕、宮本二郎、奈良信雄、渡邉 博、中井 修、三戸康義

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開催日時 2025年2月15日(土)
会場 ホテルメトロポリタン池袋
回生 医30回生クラス会
報告者 清原鋼二(医30・昭57卒)

 2025年2月15日(土)池袋のホテルメトロポリタンにて、クラス会を開催しました。
前回が2017年でしたが、コロナ禍などもあり、開催が延期になり、8年ぶりの開催となりました。30回生29名、ご来賓として林 洋医科同窓会理事長をお招きし、30名での開催となりました。
 幹事の土井君より開会の辞を行い、6名の物故者を追悼したのちに、林 洋理事長に東京科学大学の成り立ちとして、東京工業大学との出会い、今後への展望、現況を含めたお話を交えながら、会のお祝いの言葉をいただきました。引き続いて、大川君の乾杯の発声で、祝賀会が開催となりました。大川君も大学に長くいた関係で、以前の早稲田大学との研究協力から始まって、今回の東京工業大学とのつながりに至る経緯も聞くことが出きました。その後は、歓談を行いながら、近況報告を各自1-2分程に、コンパクトに伝えていただきました。勤務医として職場や立場がかわったり、開業医も含め、徐々にtaperingを考えていたりする人、全国の講演に力を注ぎ、まだまだ回数を増やして頑張りたい人、朝から晩まで読書にふけっている人、これからが本当の人生だと宣言した人などなど様々でした。それでも、しばらくぶりに会えたこともあってか、たいへん生き生きとして、楽しそうに皆で語らっている姿が印象的でした。
 クラス会に先立って、東京科学大学の状況や基金について、東條副学長と下田次長が会場近くに来ていただいて、様々な情報と今後に向ける熱意をたくさんいただきました。参加者に配布の資料や記念品もいただきました。今回は余剰金の寄付までは至りませんでしたが、今後に向けて、母校ならびに後輩たちの将来のために、個人並びにクラス会としての協力を皆に呼び掛けることもできました。東京科学大学、特に医学部のこれまで以上の発展を祈っております。
 1次会終了後は、同じホテル内のダイニングバーで2次会を開催し、20名の方が夜遅くまで残って、楽しく飲んで語らっていただきました。
 今回小児科が幹事でしたが、次回は外科、胸部外科、整形外科を主体に開催予定です。

参加者

参加者(50音順・敬称略)
揚石義夫、池田正行、石田 博、内原俊記、内原正勝、大川 淳、鬼木俊行、折田正人、河合 誠、狩野方伸、
北川 啓、木下晴之清原鋼二、坂元 薫、佐野隆夫、上甲裕継、陶守敬二郎、関野高弘、仙頭正四郎、高清水一善、
辻井俊彦、土井庄三郎、永井 鑑、中村裕一、野々山恵章、西尾康英、山本信彦、吉岡はるみ、渡辺孝之

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開催日時 2024年12月15日(日)
会場 銀座アスター(御茶ノ水賓館)
回生 医35回生クラス会
報告者 森田 恭一(医35・昭62卒)

 医35回生同窓会(珊瑚会)が、令和6年12月15日、年の終わりも迫りくる中で、銀座アスター(御茶ノ水賓館)にて無事に執り行われました。
 東京科学大学の看板になる前にみんなで集おう、その願いを合言葉にして、現代ならではのSNSの恩恵も活用したりもしながら、北は北海道から南は沖縄まで、はたまたアメリカはSan Diegoから、集ってくれた方もいました。
 素晴らしい眺望のビルの21階から、目と鼻の先に母校を眺めやることができ、『東京医科歯科大学』の大きな看板文字も、まだ変更されておらず、「名残惜しいね、見納めだね」。
濱田(旧姓・江口)さんが北海道三笠に所有しているブドウ畑で栽培されたブドウを、自家醸造・熟成されたワインでの乾杯で開始されました。会場のあちらこちらで「おいしい!!」の声のシンクロ。
残念ながら逝去された、佐藤君、矢吹君、小竹君、河内君、彼らを偲ぶ思い。久闊を叙す何気ない挨拶。その瞬間に触発されて、学生時代の健気に医学を志す初心に戻れたり。明日から離れ離れになるとしても心の中では、『こういう繋がりに支えられて明日も頑張って行こう』とも。「同窓会をしてみようよ」というシンプルな思い付き。これが、喜びと笑顔の充実した時間に想定以上に育ち、『参加すればこそ』の満足した思いと表情が会場を最後に彩りました(森田)。
 謝辞:同窓会したいね、とSNSのやりとりからふたりで話したのは、河内くんの訃報に驚いたほんの数日前。四十九日があけてから、森田くんが日時場所の決定や交渉をしてくれて、全員の連絡先を調べ、直前まで粘り強く大学時代の思い出を織り交ぜた楽しいメールでみんなを誘ってくれました。おかげで大勢の同級生が集まってくれました。終了後も、参加した方々からは喜びのメールが、残念ながら今回参加できなかった方からは、次回はぜひ参加したいと連絡があり、温かい気持ちになっております。みんなを代表して、森田くんに感謝の気持ちを伝えたいと思います。本当にありがとうございました(塩田)。
(なお、濱田さんのワインは、年2回春・秋に農園のホームページから発売されます。『検索→ハマダヴィンヤード』で、皆様お願いします!)

参加者

〇参加者(敬称略)
後列左より:村上俊一、吉池信男、中島孝敏、宍戸恒郎、菅野一男、篠原一彰、竹中千昭、安野正道、坂本直哉、尾林 聡、杉本太郎、大矢和宏、奥野哲男、已斐秀樹

中列左より:岩上昌義、佐次田保徳、松村昭彦、権 成基、野口 修、森 耕一、浅賀洋一、西村健司

前列左より:濱田恭子(江口)、KEONG CHIN HUAI、森田恭一、塩田敦子(内田)、中村佳子(沖田)、丸山俊昭

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開催日時 2024年10月27日(日)
会場 東京ガーデンパレス
回生 25回生医歯合同クラス会~卒後47周年記念~
報告者 幹事:石井一平、鈴木龍太、宮川八平(医25・昭52卒)

 25回生は2017年に卒後40周年医科歯科合同クラス会を開催した時に5年後の再開を約束していました。2022年にクラス会を開催しようと幹事が集まりましたが、コロナ禍でどうにもならず、延び延びとなりました。いつまで待っても埒が明かないことが分かり、思い切って日にちを決めてしまえば開催できるだろうということで、東京ガーデンパレスの会場を2024年10月27日に予約し、どうにか医科歯科合同クラス会の開催にこぎつけました。そういうわけで47周年という中途半端な時期になりました。そうこうしているうちに何と大学名が変わってしまい、同窓会名も変わってのクラス会開催と言うことになりました。
 医学部30名、歯学部44名、ご来賓として医科同窓会理事長林 洋先生(医26)、歯科同窓会会長中村勝文先生(学27)をお招きし、計76名の参加でした。歯学部幹事の大藤芳樹君が開会宣言をしました。「東京科学大学」になっての初めてのクラス会ですので、まず東京科学大学初代学長になられた田中雄二郎先生(医28)からのビデオメッセージを放映させて頂きました。全員が熱心に拝見・拝聴致し、皆が母校の発展や社会貢献を望んでいることと感じました。また両同窓会会長からも東京工業大学との合併の経緯や、今後の同窓会に関して、詳しいご説明を頂きました。医科同窓会では宮川が副議長に任命されたとのことでした。いつの間にか学長も同窓会長も後輩であるという事実に時の流れを感じました。
 乾杯は学年最年長の歯学部青野弘美君にお願いしました。波乱万丈の47年間を踏まえてのとても楽しい乾杯の挨拶でした。学生時代から今までの写真を幹事の石井がパワーポイントにまとめ、会場で投影しました。貴重な記録でしたので、データを欲しいという要望もありました。歓談の間に有志数名に近況報告をしてもらいました。アメリカや九州から駆けつけてくれたり、何十年ぶりというメンバーもいました。医学部幹事の石井が中締めの挨拶をしました。その後、集合写真を撮りました。顔を合わせて話をしていると、学生時代の面影があって、若く感じてしまいますが、写真に写ると表情が停止し、70歳台のそれなりの男女の集まりだと言うことを改めて認識した次第です。実際に会話の半分くらいは病気や健康問題でした。次回は3年後の卒後50周年に開催することを約束して閉会となりました。もちろん2次会も盛り上がりました。
 次回50周年は全てのメンバーが後期高齢者になる年に開催されます。2次会では「50周年後はクラスの連絡や、少し貯まっている慶弔費等はどうするのだろう?」と言う話題になりました。そろそろクラス会も終活を初めないといけないのかもしれません。


参加者

後列左より:鈴木(龍)、栗林、繁田、小幡、柳瀬、竹内、秋山、別所、唐沢、城賀本、
中央左より:宮川、高山、角田、筒井、山田、山内、小山、松本、磯辺、入江、枝松
前列左より:大玉、吉岡、姫野、石井、林 洋同窓会理事長、木原、磯辺(旧姓川口)、中原、須磨崎、西川

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開催日時 2024年10月6日(日)
会場 東京ガーデンパレス
回生 22回生医・歯合同クラス会~卒後50周年記念祝賀会~
報告者 原 義人(医22・昭49卒)

 22回生の医学部・歯学部合同卒後50周年記念祝賀会が、令和6年10月6日(日)、東京ガーデンパレスで開催されました。東京医科歯科大学の名称が無くなり東京科学大学になった直後の会でした。参加者は医科35名、歯科41名、合計76名でした。この50年間の物故者は、医科11名、歯科11名で、名前が紹介され、黙祷が捧げられました。ご冥福をお祈りします。
 開会の挨拶が医学部の那須野君からあり、次に来賓の東京科学大学医科同窓会林理事長、同歯科同窓会中村会長からご挨拶がありました。同窓会の名称も東京科学大学に変わるとのことでした。最も遠いところ(沖縄)から参加した砂川君の乾杯の発声の後、祝賀会が開宴となりました。多くの欠席者からメッセージが来ており、司会者から紹介されました。しばしの飲食の後、参加者の代表として医学部9人(原、平野、杉山、藤幡、平出、小坂、大塚、上野、竹内)、歯学部9人(杉森、大谷、上田、田本、久保、小島、杉山、門山、鈴木)から各2分間のスピーチがありました。各人が語る人生は非常に興味深く、楽しく聞かせていただきました。もっと聞きたいと思うことも多かったですが時間が限られており残念でした。
 次いで、東京科学大学の東條副学長、高村特任教授、下田次長が到着され、ご挨拶とともに、新大学移行後の「東京科学大学基金」の募金システムにつきご説明がありました。今回の祝賀会の剰余金も寄付することになりました。
 最後に、第2校歌の佐伯孝夫作詞の「湯島の白梅」を全員で歌い、幹事の高木君から閉会の辞とともに、元々22回生は158名で、物故者22名、宛先不明者2名を除いた134名に案内を送付し、127名(95%)から返信があり、内76名が今回の記念祝賀会に出席したことが報告されました。5年後に卒後55周年記念会に集まることを誓い、記念写真撮影を行い、お開きになりました。なお、幹事は腰原、須田、高木、冨田(中内)の諸氏で、受付のお手伝いは石崎、小坂、真島、井上、下向、藤田の諸氏、写真係は佐々木、滝新の諸氏でした。ご尽力に深謝します。同じ会場で2次会が開催されました。

参加者

〇参加者50音順(旧姓使用・括弧内が現在性)
医学部のみ:石崎(五十嵐)裕恵、井田隆、井上礼二、岩元 均、上野(宮坂)京子、大塚盛男、奥住(有田)里香、小倉三津雄、久米進一郎、久山泰、洪 秀樹、小坂(千田)佳子、坂巻 壽、佐々木 成、佐藤浩一、杉山博道、砂川 亨、高木博史、高橋(沼田)早惠子、竹内信一、東郷實隆、中内(冨田)真佐子、中嶋 昭、中島秀晶、名越正樹、那須野克雄、丹羽利廣、長谷川 幹、原 義人、平出源和、平野信夫、藤幡敏夫、真島一彦、御郷(河野)恵子、森岡未千子

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開催日時 2024年10月19日(土)
会場 お茶の水医学会館7F「ラウンジ」
回生 医16回生クラス会
報告者 角尾 肇(医16・昭44卒)

 我々のクラス会は令和6年10月19日(土)に、お茶の水医学会館7Fラウンジで行いました。15名位の人数でのクラス会には最適のスペースで、つまみでビールやワインを飲みながら人の話に集中でき全員が一つの話題を共有できました。
 我々の学年は卒業後1年間のインターン制度に俸給が出ないことに着目して、6年生の時に全国の医学連が奇想天外の同盟休校を行いました。大学病院も休診ですので顰蹙を買い衰退の一途でした。結局学生側が折れて同盟休校は終了となりました。その結果、我々の卒業試験が終了したのは12月にずれ込み、卒業式もないまま昭和43年12 月に卒業となりました。国家試験も昭和44年の4月に受験することになりました。その後、困ったことの一つに履歴書の問題がありました。自業自得とはいえ大学の卒業日時が昭和43年12月と記入するので、場合によっては自分だけが12月に卒業したのではない理由を説明しなければならいことが何度もありました。
さて今回のクラス会は、直前の体調不良で2名が欠席(鎌田昭次君と長井 章君)となり、出席者は12名となりました。話の内容は、全員が傘寿(さんじゅ)を超えているので高齢化の影響でゴルフの回数が減った、診療時間が短くなったなど行動範囲が制限された話が多くなってしまいました。
 そんななか、依田氏がブドウの栽培に熱中しうまく収穫できるようになったとの話があり、来年のクラス会にはシャインマスカットを持参することを約束してくれました。さらに市橋氏が睡眠の話をしてくれました。結論としては、6~7時間体をゆっくり休めることができれば熟睡できなくても構わないとのことでした。
 以上2時間余りみんな笑顔で楽しい時間を過ごすことができました。

参加者

市橋秀夫、上野格成、小山嵩夫、柴田敏勝、高野尚志、角尾 肇、平賀聖悟、福井 巌、
古川 眞、本田正樹、山本淳一、依田安弘

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開催日時 2024年10月20日(日)
会場 お茶の水医学会館 9F「大会議室」
回生 医20回生クラス会
報告者 早川恵子(医20・昭47卒)

 2024年10月20日(日)に医20回生同期会をお茶の水医学会館の大会議室で開催しました。2012年の医歯合同の会以来12年振りのことです。お茶の水駅から大学を抜けて会場に向かうと お茶の水祭が開かれていました。東京科学大学のプレートも見ました。
 北海道から沖縄まで28名が集まり、開会の辞に続13名の物故者を追悼し黙祷、乾杯・歓談の後、持ち時間3分で出席者全員が近況を語りました。病気療養中の方からフルタイムで活躍中の方まで様々ではありますが、初めて聞くお話も多く、それぞれの50余年を垣間見る思いでした。次々の大病を乗り越え、今も病気と併走で仕事に趣味に取り組む力強く明るい発言に皆元気づけられましたし、前立腺癌友の会ができそうな勢いでした。クラス会担当だったお連れ合いが亡くなり52年振りに初めて出席した方、定年で故郷に帰ろうとしたがご家族に「お一人でどうぞ」と言われ断念した方、健康法や趣味の紹介、仕事が休みの木曜と日曜は全部ゴルフで年70回以上行く方、最近の小児科医療事情の話や科学大学になったが東工大の若さを取り入れてとの発言、ラッキーな出会いで後継者にすんなりバトンタッチできた方もいれば、現職を辞めたくても辞められない方も、外科手術はやめたが内視鏡検査は日に10件の方、40年程昔、医院と施設の開設準備に5年を要したが最後の近隣住民の承諾を得る段階で精神科標榜を諦めざるを得なかった話、医師会活動の思い出話、卒業時の目標はほぼ達成したと脳の働きと神経細胞についての解説、執筆や講演の他に町会長もされている方、定年後この会館のクリニックに勤務の方、6月に脳梗塞で倒れ入院したが幸い復帰できた方、癌センター勤務時代の厳しくも楽しい日々と故郷に戻った話、等々。
 当時、沖縄からは留学生だった事(卒業した1972年が沖縄返還でした)卒業証書は各自バラバラに事務窓口へ受け取りに行った事なども思い出しました。大学には患者としてお世話になるばかりの身ですが、皆様の健康と母校の更なる発展を祈っております。この会のお膳立てをしてくださった千勝さんに感謝します。

参加者

新垣米子、飯泉智弘、石原 勇、大木静夫、大久保俊平、大浜和憲、岡村 登、恩地圭典、影山任佐、斎藤喜親、鈴木健一、鈴木俊雄、竹下公矢、武村和夫、玉置 肇、千勝泰生、寺川 進、二木 立、丹羽明博、早川恵子、堀 彰、三浦克弥、皆川邦子、宮城福正、森 重夫、山南貞夫、吉田 肇、吉村伸子

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開催日時 2024年9月22日(日)
会場 M&Dタワー「ファカルティ・ラウンジ」
回生 42回生医歯合同クラス会~卒後30周年記念~
報告者 寺内公一(医42・平6卒)

 歯学部同期の渡辺一騎から「来年ちょうど卒後30周年だし、どうせなら一緒に同期会やらない?」と連絡があったのがちょうど一年前のことだった。医学部の方は謝恩会をやった帝国ホテルで2019年に25周年の会を開いていたけれど、それからはコロナ禍で同期会どころではなかったのだ。それはいいね!ということで歯学部側と調整して、2024年9月22日(日)にM&Dタワー26階のファカルティ・ラウンジで合同同期会を開くことになった。様々な事情の積み重ねでこの日になったのだが、奇しくも大学統合の1週間前、「30周年記念・さよなら東京医科歯科大学・こんにちは東京科学大学」という絶妙のタイミングだった。医学部は大学に残っている同期が5人(伊澤・鹿島田・工藤・竹内・寺内)に減ってしまっていたのでまずはそこが幹事団となり、成り行きで僕がまとめ役となった。そこから1994年(平成6年)「ごろ」卒業というゆるいしばりでみんなに声をかけ始めたのだが、連絡先の分からない人も多く作業は時に難航。最終的に幹事団+学外の顔が広い人たちのがんばりで5人を除いては(少なくともこちらからは)連絡を取ることが出来て、出席者は36名だった。
 当日の準備については歯学部幹事団リーダーの大導寺善啓の力が大きく、式次第の考案からケイタリングの手配、二次会の設定まですべてやってくれて、感謝深甚である。医学部側では当日の司会は沢田、冒頭僕が一言しゃべってその後乾杯。本学医療安全管理学分野の教授に就任した工藤に大井が祝辞・井下尚子が花束贈呈。続いて東京工業大学(>東京科学大学!)学生支援センターの教授に就任した平井に竹内が祝辞・大野明子が花束贈呈。最後に本同窓会報編集長である石川が中締めの挨拶を行って写真撮影となった。
 歯学部側にはそれこそ30年ぶりに会うような人もいたけれど、みんな全然変わらず昔のまま、あっという間の2時間だった。歯学部の方はオリンピック周期だというから次回もぜひ一緒にやりたいものだし、その時こそ今回残念ながら参加できなかった同期にもお目にかかりたいものである。当日の出席者は以下の通り(順不同・本文中も含めてすべて敬称略)。なお写真は映りを考えて医学部だけで撮ったものの方を掲載する。

参加者

宮﨑安洋、長瀬(西)美香、田中屋(竹内)真智子、竹内崇、井下尚子、彭英峰、原祐一、伊澤佳子、加納英人、大井啓司、石川敏昭、沢田(山岸)美奈、川上明夫、大城敏、土井賢、大野(田中)明子、平井伸英、工藤篤、石井研史、鹿島田健一、井下聖司、冨滿弘之、三木陽二、野々村美紀、横山和明、廣山祐仁、萩原正道、樋口哲也、金子高穂、八木啓介、野々村(林)芳映、古賀文隆、白石淳、大野智之、小林宏寿、寺内公一

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開催日時 2024年6月28日(金)
会場 お茶の水「龍雲庵」 二次会「メディカフェ」
回生 医12回生クラス会
報告者 廣川勝昱(医12・昭39卒)

 12回生は国府台の教養部の第一回生である。とはいっても、国府台に行ったのは、1958年の10月頃であった。1964年の卒業時の人数は、落第や編入などがあり、45人前後であったと記憶している。2024年現在で、住所がわかっていて、生存していると思われる21人にクラス会のお知らせを出した。ネットを含めて18人から、返事があったが、出席は7人で、奥様同伴が5人いたので、全員で12人のクラス会であった。出席率が1/3というのは、淋しい限りである。やはり、老齢で体調不全の人が多いということらしい。参加を予定していた一人は、クラス会の2~3日前に心臓手術で参加できないと連絡してきた。一番の年長は、松永氏で、90歳をこえているが、他は84~86歳の超高齢者である。人生経験の豊富な仲間であるから、話題には事欠かない。
 我々の年代は戦前生まれであり、多かれ少なかれ、戦時の空襲の記憶がある。私は1945年の3月には、今住んでいる板橋にいたので、焼夷弾による空襲を覚えている。空全体を占める無数のB29の威圧的な飛行音に交じって、まばらな高射砲の音、まれに攻撃をこころみる日本の戦闘機の甲高い飛行音も記憶にある。12回生は、そうした戦争の体験のある年代であり、また、敗戦後の食料のない苦しい生活と混乱を体験している世代でもある。そして、日本のそのゼロの状態から、驚異的な発展を遂げた80年余りの激しい変化を体験してきた年代である。話題が豊富でとてもこの限られたスペースで書ききれない。参加してきた人は、皆、それほど目立ったボケはないようである。嬉しかったのは、鹿児島から来た中村先生の奥様が、手作りのネックレスを持参し、同伴の奥様方にお土産として配ってくれたことである。宝飾用品を使った、きれいで見栄えの良いものである。
 東京医科歯科大学が東京科学大学となり、われわれが元東京医科歯科大学卒業生となるのは、かなりの複雑な気持ちである。我々が入学したのは60年以上前であるが、その頃、周りの人で、東京医科歯科大学名前を知っているのは、少なかった。60年たって、大分知られるようになったところで、卒業した大学の名前が変わるというのはかなりの淋しい気持ちである。新しい東京科学大学では、いろいろな試行錯誤やトラブルもあるであろうが、間違いなく大きな飛躍を遂げるであろうことは信じて疑わない。来年のクラス会をやるかどうかは、未定である。

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開催日時 2024年4月27日(土)
会場 東京ガーデンパレス
回生 医43回生クラス会
報告者 川田研郎(医43・平7卒)

 東京医科歯科大学医学部・医43回生によるクラス会が2024年4月27日土曜日、東京ガーデンパレスにて開催されました。大学に在籍するメンバーとまとめ役の泉山肇先生(秀和総合病院副院長)の呼びかけで,同窓会理事長の林洋先生にご同席頂き、43名の参加者が集まりました。卒後20周年で会って以来、コロナ期間明けて大人数で会うのはしばらくぶり、医学部を卒業した1995年3月は地下鉄サリン事件があり、ドジャース・野茂英雄投手がトルネード投法で大活躍を見せた年です。今と違って“不適切にも程がある”研修医時代を過ごし、紆余曲折を経て顔を合わせれば、昔話に花が咲きます。泉山先生の司会の下、恒例の各自の近況報告。偉くなった友、開業した友、地方で頑張ってる友、重ねた年月は同じだけど、人それぞれの道があり、そこがまた面白い所でもあります。2024年は医師になって30年目、海の向こう大リーグでは、ドジャースに移籍した大谷将平選手が大活躍を見せ、「医師の働き方改革」なんて時代がやってきて大分変わったなと思う一方で、同期はいくつになっても同期で頼りになる存在です。この会を企画するにあたり、2年前の2022年7月8日、脳外科医キッティポン・スィーワッタナクン(通称ジャック)が病気で亡くなりました。タイから日本に来て医学を学び、脳血管カテーテル治療で活躍しており、これからもやりたいことが沢山あっただろうに、元気だったらきっと同窓会に笑顔で参加してくれたんじゃないかなと思います。年齢も50を過ぎて残りの人生、これから思いもよらない困難に直面することもあると思います。医者が病気になった時に、頼りになるのは同期です。30年前の自分に言い聞かせるなら、「隣にいる奴は将来、君を救う存在になる可能性があるぞ、大事にしろ」です。この秋には東京科学大学になりますが、医科歯科大卒のマインドを持って前へ進みましょう。同窓会?面倒だなあ?なんて思わずにまた皆さんお元気でお会いしましょう。

参加者

藍 真澄、井川 健、石田 竜二、泉山 肇、板倉 潤、奥田 日実子、海山 智隆、柿沼 晴、柿本 應貴、笠原 一郎、加藤 剛、亀井 宏一、川内 潤也、川口 悟、川田 研郎、神崎 歩、黒田 暁生、向後 秀香、古賀(川嶋) 道子、小坂 元宏、近藤 博和、酒井 康之、佐々木 克行、佐々木 真一、真田 貴弘、渋井 総朗、嶋田 謙、白澤 進一、早乙女 進一、田中 洋次、玉岡 明洋、千秋 智重、白 朋子、真鍋 晋、道下 聡、村井 邦彦、森 章、森川(武田) 朋子、横田(滝)敦子、吉川 桃乃、吉村 亮一、若林 晶

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