医12回生クラス会
開催日時 | 2024年6月28日(金) |
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会場 | お茶の水「龍雲庵」 二次会「メディカフェ」 |
回生 | 医12回生クラス会 |
報告者 | 廣川勝昱(医12・昭39卒) |
12回生は国府台の教養部の第一回生である。とはいっても、国府台に行ったのは、1958年の10月頃であった。1964年の卒業時の人数は、落第や編入などがあり、45人前後であったと記憶している。2024年現在で、住所がわかっていて、生存していると思われる21人にクラス会のお知らせを出した。ネットを含めて18人から、返事があったが、出席は7人で、奥様同伴が5人いたので、全員で12人のクラス会であった。出席率が1/3というのは、淋しい限りである。やはり、老齢で体調不全の人が多いということらしい。参加を予定していた一人は、クラス会の2~3日前に心臓手術で参加できないと連絡してきた。一番の年長は、松永氏で、90歳をこえているが、他は84~86歳の超高齢者である。人生経験の豊富な仲間であるから、話題には事欠かない。
我々の年代は戦前生まれであり、多かれ少なかれ、戦時の空襲の記憶がある。私は1945年の3月には、今住んでいる板橋にいたので、焼夷弾による空襲を覚えている。空全体を占める無数のB29の威圧的な飛行音に交じって、まばらな高射砲の音、まれに攻撃をこころみる日本の戦闘機の甲高い飛行音も記憶にある。12回生は、そうした戦争の体験のある年代であり、また、敗戦後の食料のない苦しい生活と混乱を体験している世代でもある。そして、日本のそのゼロの状態から、驚異的な発展を遂げた80年余りの激しい変化を体験してきた年代である。話題が豊富でとてもこの限られたスペースで書ききれない。参加してきた人は、皆、それほど目立ったボケはないようである。嬉しかったのは、鹿児島から来た中村先生の奥様が、手作りのネックレスを持参し、同伴の奥様方にお土産として配ってくれたことである。宝飾用品を使った、きれいで見栄えの良いものである。
東京医科歯科大学が東京科学大学となり、われわれが元東京医科歯科大学卒業生となるのは、かなりの複雑な気持ちである。我々が入学したのは60年以上前であるが、その頃、周りの人で、東京医科歯科大学名前を知っているのは、少なかった。60年たって、大分知られるようになったところで、卒業した大学の名前が変わるというのはかなりの淋しい気持ちである。新しい東京科学大学では、いろいろな試行錯誤やトラブルもあるであろうが、間違いなく大きな飛躍を遂げるであろうことは信じて疑わない。来年のクラス会をやるかどうかは、未定である。
開催日時 | 2016年11月19日(土) |
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会場 | 懐石料理龍雲庵 |
回生 | 医12回クラス会 |
報告者 | 廣川勝昱(医12・昭39卒) |
「歴史的な信長膳を囲んだ医学部12回生クラス会」
2016年11月19日、懐石料理龍雲庵で、12回生のクラス会があり、奥様方を含めて、25人が集まりました。この日の目的は信長大名膳を見て、味わい、楽しむことでした。
織田信長は40歳の時(1573年)、京都明覚寺において茶会を開催しました。この時の客は今井宗久、山上宗二、松井友閑で、宋易(利休)が濃茶を点前しました。この時に供された料理の献立が残っており、龍雲庵の勉強熱心なご主人がその献立に従って、信長膳を再現しました。
信長の茶懐石は利休が一汁三菜のスタイルを確立する以前の饗応の大名膳であり、食材も白鳥や鶴など、信長らしく当時の贅を尽くした、とても豪華なものだったそうです。
今回のクラス会では龍雲庵で再現された信長膳を堪能しようという事でしたが、一応、参加者にはご満足いただけたようで、世話人(安村鉄雄、廣川勝昱)としては安心しました。
参加者
後列左より:細田、中村、石井、飯田、平山、山口、安村、平岡、酒井、弘末
中列左より:椎貝、弘中、松永夫人、石井夫人、細田夫人、小林、平岡夫人、山口夫人、廣川夫人、沢登夫人
前列左より:松永、沢登、鈴木、廣川
開催日時 | 2013年11月9日(土) |
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会場 | 箱根芦ノ湖畔のザ・プリンス箱根 |
回生 | 医12回クラス会 |
報告者 | 石井啓允(医12・昭39年卒) |
12回生の平成25年クラス会は11月9日(土)箱根芦ノ湖畔のザ・プリンス箱根で開催された。クラスメート16名、歯学部2名、同伴されたご夫人方10名、総勢28名が出席した。遠くはニューヨークから小西君、鹿児島から中村徹君が参加してくれた。皆、年に1度の再会を楽しみに集まるのだが、今年は残念ながら中村国臣君が7月12日に亡くなった。昨年の本会ではゴルフを楽しんで元気いっぱいだったので、その急逝を全員が悼んだ。
祝い事としては、春の叙勲で中村徹君が旭日双光章を受賞した事だ。長年の医師会長として医師会立病院の建設とその発展、救急等各種医療体制の確立などの功績によるものと思われる。
美味しい料理を食べ、ワインやビールを飲み、和気藹々で食事をしながら、各人の近況報告がされた。年齢は75~6歳であるが、完全に現役を引退している人は殆ど無く、大多数が元気に何らかの仕事を続けている。大したものだと思う。然しながら「後期高齢者」とはよく言ったもので、75歳頃は人生の段階が一つ進むのであろうか。今後をどのように送るのか。死を巡る不思議な体験の話、愛妻を失った後の話、老人施設入居の話など、種々の選択肢の中で色々と考えている事が2~3の発言からうかがわれた。
来年平成26年は卒後50周年を迎える。クラス会は台湾在住の呂宏淵君と国内では平岡昌和君が幹事となり、台湾で開催される事が既に決定されている。元気な姿での再会を誓い、お開きとなった。
翌日は自由行動。生憎の雨模様で、ホテル前の芦ノ湖は幻想的だが湖面がやっと見える程度。一部の人は湿生花園、長安禅寺など仙石原の秋を楽しんだようだが、多くの人が散策を諦め、早目に帰途に就いたようだ。一方ゴルフ組は松永君と村田君が幹事を引き受けてくれたのだが、その一行10名は予定通り西熱海ゴルフコースで小雨の中をスタートしたが、途中あまりの降雨と強風に耐えられず、前半ハーフで中止したとの事。なんと元気な事だ。何はともあれ今年のクラス会は無事に終了した。
参加者
後列左より:古川義之、松本和彦、小林祐子、栗田益弘(歯)、村田 久、弘末明良、廣川、高野信夫、松永成三郎、松永夫人、酒井邦彦、細田夫人木下 弘(歯)、栗田夫人、村田夫人、松本夫人、古川夫人、沢登夫人
前列左より:平岡昌和、山口 晋、石井啓允、沢登 徹、細田和成、中村 徹、小西弦一郎、ノーマ様、石井夫人、山口夫人