医16回生クラス会
開催日時 | 2024年10月19日(土) |
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会場 | お茶の水医学会館7F「ラウンジ」 |
回生 | 医16回生クラス会 |
報告者 | 角尾 肇(医16・昭44卒) |
我々のクラス会は令和6年10月19日(土)に、お茶の水医学会館7Fラウンジで行いました。15名位の人数でのクラス会には最適のスペースで、つまみでビールやワインを飲みながら人の話に集中でき全員が一つの話題を共有できました。
我々の学年は卒業後1年間のインターン制度に俸給が出ないことに着目して、6年生の時に全国の医学連が奇想天外の同盟休校を行いました。大学病院も休診ですので顰蹙を買い衰退の一途でした。結局学生側が折れて同盟休校は終了となりました。その結果、我々の卒業試験が終了したのは12月にずれ込み、卒業式もないまま昭和43年12 月に卒業となりました。国家試験も昭和44年の4月に受験することになりました。その後、困ったことの一つに履歴書の問題がありました。自業自得とはいえ大学の卒業日時が昭和43年12月と記入するので、場合によっては自分だけが12月に卒業したのではない理由を説明しなければならいことが何度もありました。
さて今回のクラス会は、直前の体調不良で2名が欠席(鎌田昭次君と長井 章君)となり、出席者は12名となりました。話の内容は、全員が傘寿(さんじゅ)を超えているので高齢化の影響でゴルフの回数が減った、診療時間が短くなったなど行動範囲が制限された話が多くなってしまいました。
そんななか、依田氏がブドウの栽培に熱中しうまく収穫できるようになったとの話があり、来年のクラス会にはシャインマスカットを持参することを約束してくれました。さらに市橋氏が睡眠の話をしてくれました。結論としては、6~7時間体をゆっくり休めることができれば熟睡できなくても構わないとのことでした。
以上2時間余りみんな笑顔で楽しい時間を過ごすことができました。
参加者
市橋秀夫、上野格成、小山嵩夫、柴田敏勝、高野尚志、角尾 肇、平賀聖悟、福井 巌、
古川 眞、本田正樹、山本淳一、依田安弘
開催日時 | 2023年10月21日(土) |
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会場 | お茶の水医学会館7F「ラウンジ」 |
報告者 | 鎌田昭次(医16・昭43卒) |
3年半に亘る新型コロナウイルス感染症が5類になったと報道されましたので、5年半振りのクラス会を令和5年10月21日(土)にお茶の水医学会館7Fラウンジで行いました。
(この学年は卒業後、1年間のインターン制度が6年生の時に出て俸給(ほうきゅう)が出ないことに着目して、全国の医学連が「奇想天外」の同盟(ストライキ)休校を決行しましたが、大学病院も休診ですので顰蹙(ひんしゅく)を買い衰退(すいたい)の一途でした。大学からは、授業時間が足りないので7年間になりました。更に又同級生には、台湾、沖縄、タイ、パキスタン出身の学生が、全部国費留学生でしたので、当時の北 博正医学部長(衛生学)に懇願(こんがん)し6年で卒業し、医師国家試験に間に合い、合格して同窓生として喜び会いました。学生運動が頂点に達した時代です。)
殆どの同級生が傘寿(さんじゅ)を超えましたが、今までのクラス会と大きく替わったことが、クラス会の御返事で理解できました。「歩行ができないので欠席する。」「診療所の中を、杖(つえ)を曳(ひ)かねばならないので外に出られない。」「御主人が病気なので行けない」等々でした。所謂(いわゆる)「フレイル」なのです。
その中で大きな表彰状を拝受(はいじゅ)された同窓生がおります。第51回医療功労賞(読売新聞主催)を愛媛県今治市吉海町の齋藤 俊(たかし)君(79歳)が令和5年3月25日に受賞されました。おめでとうございます。大喜びでクラス会に出席して下さいました。結婚に付き、何処(どこ)に開業するかを考えている時に、義父が住んでいる愛媛県越智(おち)郡吉海長福田が過疎地(かそち)であるが、人が良い人が多い。人口1万2千人で、齋藤君が二人目だよと餞(はなむけ)の言葉にして推(お)し薦(すす)められ驥尾(きび)に付してご家族の協力もあり今回の喜びになりました。平成12年にはケアマネージャーの資格を自ら取り、現在は長女の人と共に地域医療の継続を目標としていると有ります。頑張ってください。
参加者
市橋秀夫、上野格成、鎌田昭次、川井紘一、小山嵩夫、斎藤 俊、高野尚志、角尾 肇、原 一之、平賀聖悟、福井 巌、古川 眞、山本淳一
開催日時 | 2019年11月2日(土) |
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会場 | 茨城県つくば市ホテル「グランド東雲」 |
回生 | 医16回クラス会 |
報告者 | 川井紘一(医16・昭43卒) |
医学部昭和43年卒(16回生)の同期生は毎年11月にク ラス会を行なってきましたが、今年は川井が当番幹事となり、私の開業地であり居住地でもある“茨城県つくば市”で 11月2日(土)に開催致しました。昨年の卒後50周年医科 歯科合同クラス会時に、今後歯科はクラス会を開催しない ので、医科が開催する時に幹事が歯科にも声をかけることが決定したので、歯科にも声をかけました。 結果としては、医科12名、歯科は連絡窓口をやってくれる兵頭君1名のみの参加となりました。医科16回は47名のクラスでしたが、既に物故者が7名、連絡先不明が3名おり、クラス会に殆ど出てこない方も10名以上いるのに加えて、健康上の問題でつくばまで足を延ばせないとの回答もありました。
つくばエクスプレス(TX)つくば駅近くのホテ ル“グランド東雲”で19時に会食を開始、全員が集まったところで記念撮影を行い、2次会を同じホテル内で行い22 時散会としました。私が2次会用に持ち込んだワイン3本も 含めアルコールがかなりまわり、皆、持論に花を咲かせました。誰がどんなことを述べたかは覚えていませんが、13名の十分な交流会となりました。
同ホテルに11名が宿泊し、翌日は、土屋・中里に当日 朝加わった福井の3名が、44年卒の松永彦二君の案内で “霞ヶ浦国際ゴルフコース”で7時よりゴルフを、上野・鈴 木・前村・川井の4名が“筑波山観光”に出かけました。筑波山神社を参拝し、ケーブルカーで山頂駅まで上がり、女体山山頂まで登り、巨石に腰かけ四方を眺めた後、白雲橋コースを歩いて筑波山神社まで戻りました。下山は心肺機能には負担がないのですが、岩場の急斜面が多く、神社に辿り着く頃には両膝が笑っていました。12時頃下山した所でゴルフ場に電話すると、既にラウンドを終え昼食中でした。私達も神社前で“つくばうどん”やそばを食べ、つくば駅 まで送って14時前には解散しました。曇天だったため山頂 からの眺望はいま一でしたが、久しぶりの筑波山登山を行うことで体力低下も気になった1日でした。
参加者
後列左より: 芝田・鈴木・市橋・本田・土屋・中里・山本
前列左より: 上野・平賀・鎌田・兵頭・前村・川井
開催日時 | 2018年11月24日(土) |
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会場 | ホテルグランドパレス「松の間」 |
回生 | 16回合同クラス会 |
報告者 | 上野格成(医16・昭43卒) |
今回卒後50周年記念で急遽歯学部との合同クラス会をしようと言う話になり、平成30年11月24日(土)飯田橋のホテルグランドパレス3階「松の間」で開催された。医学部18名、歯学部20名の参加になった。合同クラス会は10年ぶりのことであった。
医学部は毎年欠かさず11月に行われているのでそれに合わせて行われた。合同クラス会を行うことを決まる前に今年の幹事を引き受けたので,段取りに戸惑い結局歯学部の兵頭 英昭君、大橋勝広君、醍醐毅君、白倉章君にすべて丸投げするような形になってしまった。
会は先ず歯学部の大畑直暉の開会の辞で始まり、卒後逝去された医学部7名、歯学部11名の冥福を祈った。そのあと医学部の平賀聖悟君の音頭で乾杯の発声を行い、参加者全員の近況報告をして頂いた。その後、テーブル毎に歓談し最後に医学部の鎌田昭次君の閉会の辞で幕を閉じた。その後、二次会を同ホテル23階のクラウンラウンジに場所を変えて行われた。今回10年ぶりの医科・歯科合同クラス会であり、また我々全員後期高齢者になったことで話題は各自の健康問題、学生時代の話が殆んどであった。我々医学部はストライキで卒業が昭和43年12月28日になり約9ヶ月遅れてしまいその間のことは学生ホールで囲碁、将棋、トランプで遊び、メンバーが揃うとマージャン屋に通うというような生活が続いたと記憶している。卒業してからは青梅の病院に約1年、その後山形の町立病院に約8年間勤務した。その間同級生には無縁の状態が続いた。その後川崎の病院に勤務するようになり、その後毎年クラス会に参加するようになり一度も欠席したことがないと記憶している。
今回遠方からは沖縄北谷市から金城 進君、愛媛県今治市から斎藤俊君、新潟市から本田 正樹君、上越市から古川 眞君の参加があった。 今後も毎年のクラス会に参加し、友好を温めること楽しみにしている。来年は筑波で川井君の幹事で行われることになり楽しみにしている。何はともあれ限りある余生を悔いなくありたいと沁み沁み思うこの頃である。 「歳月は欺くも美し冬紅葉」
参加者
市橋秀夫、上野格成、鎌田昭次、川井紘一、金城 進、小山嵩夫、斎藤 俊、高野尚志、土屋正光、角尾 肇、中里金宏、原 一之、平賀聖悟 、福井 厳、古川 眞、本田正樹、前村大成、山本淳一
開催日時 | 2017年11月25日(土) |
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会場 | 北大路(八重洲店) |
回生 | 医16回クラス会 |
報告者 | 原 一之(医16・昭43卒) |
昭和43年12月28日に我々16回生は卒業して49年が経った。インターン制度が無くなり、新たな研修医制度が始まった学年であった。私自身は第3解剖(神経解剖学と比較解剖学)教室の専攻生として籍は置かせていただいたが、卒後直ちに学外で研修医をスタートさせた。途中3年間だけ第3解剖で助手を勤めた以外、ほぼ全て医科歯科大学と関係のない場で生きて来た。同窓生と会う機会は年に一度のクラス会が唯一であった。個人的事情により今年はじめてクラス会の幹事をさせていただいた。会の中では、皆が後期高齢者となってきているせいか、話に出てくる内容は病気の話も少なくなかった。
以前は全く意識のなかった年令的変化を外形にも感じるようになってきた。その思いは年々増している。その様な変化を感じのは御互い様であるのであろうが。 約半世紀の間、同級生として過ごして来た40余名の仲間も少しずつ減りだしており、これからのクラス会は“今年も元気であったか”と確認できる喜びを感じるのと同時にその大切さが増しているのだと思う。
今年は平成29年11月29日(土)に北大路で開催した。実は幹事のボスが、会が済んだら直ちに原稿を書いた方がいいぞと助言されたので、会で感じた自分なりの印象を文章にしてみた。 終りに、運転免許証の更新で認知症のテストを受けたり、後期高齢者になったらゴールド免許でも3年で更新だと言われる。肉体的には自信が持てると思っても、客観的に神経学的には、反射機能や知的解析能力は年々落ちていくことを、大なり小なり全ての人が気付いていると思う。来年のクラス会も楽しみにしている。
開催日時 | 2017年11月25日(土) |
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会場 | 北大路(八重洲茶寮) |
回生 | 医16回クラス会 |
報告者 | 原 一之(医16・昭44卒) |
昭和43年12月28日に我々16回生は卒業して49年が経った。インターン制度が無くなり、新たな研修医制度が始まった学年であった。私自身は第3解剖(神経解剖学と比較解剖学)教室の専攻生として籍は置かせていただいたが、卒後直ちに学外で研修医をスタートさせた。途中3年間だけ第3解剖で助手を勤めた以外、ほぼ全て医科歯科大学と関係のない場で生きて来た。同窓生と会う機会は年に一度のクラス会が唯一であった。個人的事情により今年はじめてクラス会の幹事をさせていただいた。会の中では、皆が後期高齢者となってきているせいか、話に出てくる内容は病気の話も少なくなかった。以前は全く意識のなかった年令的変化を外形にも感じるようになってきた。その思いは年々増している。その様な変化を感じのは御互い様であるのであろうが。
約半世紀の間、同級生として過ごして来た40余名の仲間も少しずつ減りだしており、これからのクラス会は“今年も元気であったか”と確認できる喜びを感じるのと同時にその大切さが増しているのだと思う。実は幹事のボスが、会が済んだら直ちに原稿を書いた方がいいぞと助言されたので、会で感じた自分なりの印象を文章にしてみた。
終りに、運転免許証の更新で認知症のテストを受けたり、後期高齢者になったらゴールド免許でも3年で更新だと言われる。肉体的には自信が持てると思っても、客観的に神経学的には、反射機能や知的解析能力は年々落ちていくことを、大なり小なり全ての人が気付いていると思う。来年のクラス会も楽しみにしている。
開催日時 | 2016年11月26日(土) |
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会場 | お茶の水医学会館9F |
回生 | 医16回クラス会 |
報告者 | 平賀聖悟(医16・昭43卒) |
去る11月26日(土)、昭和43年クラス会が初めてお茶の水医学会館で行われました。我々のクラスは忘れもしない大学紛争の真っ只中を9か月遅れの12月28日に卒業し、卒業式も無く証書は医学部事務窓口へ各自取りに行くといった状態でした。教室は歯学部との通路、生協食堂近くに木造の階段教室があり、解剖実習室は歯学部本館の中庭にあって新病棟の建設に伴い、武道場へ造りかえてここで剣道もやってきました。ポリクリの時の最初の実習も木造での病棟で、雨の時長靴を履いたまま実習を行った思い出があります。
お茶の水医学会館の完成に伴い我がクラス会も卒後48年ぶりにお茶の水へ参上しようという気運が持ち上がり、本年度幹事を仰せつかった訳であります。せっかく毎年続いた大学の新・増築がひと段落したようなので、変容著しい母校の一部でも見学したいという思いからクラス会に先立ち1時間余りの大学ツアーを企画し、地域連携支援センター長の泉山 肇君(医43)のお世話になりました。クラス会参加者19名のうち、6名がツアーに参加しました。
クラス会には先輩でもある佐藤達夫理事長と、泉山君にも加わって頂き、ケータリングといっても写真のようにテーブルクロスが敷かれ、室内は会議室から「お茶の水ホテル」のレストランへ一変したような豪華な雰囲気となりました。先ず、佐藤理事長に御挨拶を戴き、後輩の泉山君からは最近の大学の活動を含めたお話を戴きました。幹事としては、恒例の各自自由な近況報告前に、本日欠席となったが事前に電話等で連絡できた級友の報告などを行い、また本年度の秋の叙勲を受けられた、元国立リハビリテーションセンター病院長の牛山武久君(体調により欠席)へは、後程本会からのお祝いを届ける事も報告しました。
42名(うち外国在住2名、物故者5名)のクラスの半数以上が今回参加し、宮城県の長井 章君、愛媛県の斉藤 俊君、卒後初めてクラス会に出てくれた新潟県の古川 眞君、本田正樹君達にも会えて、48年前の木造校舎での学生時代に戻り楽しい一時を過ごすことができました。
開催日時 | 2014年11月22日(土) |
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会場 | 帝国ホテル |
回生 | 医16回クラス会 |
報告者 | 土屋正光(医16・昭43卒) |
2014年11月22日(土)帝国ホテルで今年度のクラス会を開きました。出席予定者は19名でした。6時開宴前に記念撮影を撮る段取りとしましたが、出席予定者全員が記念撮影までに集まれるか心配しましたが、全員が写真に納まることができ、幹事としてはまずホットしました。今回宮崎県えびの市より長井章君、愛媛県今治市より藤井紘三君が遠方よりご夫妻で出席してくれました。私も会計係に家内を連れて行きましたので、夫婦連れは3組となりました。今回のクラス会の案内を出した後、元日本医科大学薬理学教授の宮田雄平君が10月4日に亡くなられたとお嬢さんから連絡を頂きました。私は突然の訃報に驚きましたが、これまで肝疾患で闘病していたことをお嬢さんからお聞きしました。我々のクラスは定員40人の最後のクラスで、宮田君を含めて4人が物故されています。その為19名の出席は丁度過半数の出席となりました。宮田君の冥福を祈り献杯で会を始めました。その後各人より近況報告をしてもらいました。勤務医を続けているのは7名で、開業医として活躍されているものも、体調維持を心がけながら、地域の重鎮として社会に貢献している報告を聞き大変心強く思いました。我々は還暦後1回り干支が回った72歳前後となりましたが、年の割には皆肌の色つやもよく、世間の72歳よりたいそう若く見えました。会場の時間制限があり、例年より話し足りない出席者もいたのではないかと思いましたが、時間内に皆手際よく話をまとめてくれたことに感心しました。16期クラス会は毎年ほぼ同じ日に開催しています。これまでごくまれに奥さんを連れて出席された例はありますが、3組は初めてです。今回も奥さんを連れてくれば良かったと言う出席者もいたので、これからは無理のない範囲で夫婦同伴のクラス会も考えてみてはと思いました。来年は山本淳一君幹事で再会を誓って散会しました。
参加者
後列左より:相沢秀樹、牛山武久、丘松寿 福井厳、前村大成、河内貞臣、小山嵩夫 中列左より:角尾肇、鎌田昭次、上野格成 市橋秀夫、中里全宏、川井紘一、長井夫人 山本淳一
前列左より:平賀聖悟、長井 章、土屋夫人 土屋正光、藤井紘三、藤井夫人、高野尚志