同窓会活動のご案内

19回生医歯合同クラス会

開催日時 2019年11月23日
会場 お茶の水医学会館 9F「大会議室」
回生 19回生医歯合同クラス会
報告者 井上 篤(医19・昭46卒)

 令和元年11月23日、勤労感謝の日、19回生(昭46卒) 医歯合同クラス会が「お茶の水医学会館9F」にて開催され た。日没時間が早くなった夕暮れ時に、改修工事中のお茶の水駅から本郷通りの舗道は、冷たい雨が銀杏の枯葉を濡らし、今はもう晩秋であることを十分に感じさせてくれた。 医科のクラス会の有資格者の51名の内、出席者は12名。歯科からは16名の参加を得て合計28名であった。3年前の前回以降、2名の物故者を出してしまい寂しい限りである。一方、多忙のため出席できなかったが、メタボリック症候群に関する研究で宮崎滋君が、地域医療に対する貢献で山内英樹君が叙勲を受け、吉田謙一郎君が獨協医科大の学長・理事長に就任という吉報も話題になった。何よりも、大野喜久郎君が本年6月から、医科同窓会の理事長に就任した。お目出たいやら、お気の毒やら、心から「ご苦労様です」と申し上げたい。
 出席者全員が3分~5分の持ち時間で、近況報告や高齢者としての覚悟をスピーチして、3時間半があっという間に過ぎた。2年後に卒業後 50周年記念の会を開く事を約して、「ガンバルゾー」とシュプレヒコールをあげて解散となった。

参加者

後列左より: 坂本穆彦、佐藤親次、田辺研吉、安達弦太、中島英之、石突正文、鷲塚 誠、久光 久 、金田一孝二、古屋良一、石山信之、佐藤 尚、志田公司、斉藤 博、宮本 尚、上小鶴正弘 、東海林隆男、土肥嘉照、篠岡美長、江渕正和、井上 篤
前列左より: 渡辺建介、吉井 亨、大野喜久郎、溝口万里子、齊藤瑛子、加納ナオミ、越智 和

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開催日時 2016年11月19日(土)
会場 渋谷エクセル東急ホテル
回生 19回生医歯合同クラス会
報告者 大野喜久郎(医19・昭46卒)

 2016年11月19日、2年ぶりに19回生(昭46卒)の医歯合同クラス会が渋谷マークシティーのエクセルホテル東急で開催されました。幹事のはからいで、今回はラウンドテーブルでの肩のこらない談笑が主となり、とりたてて記載すべき目玉がありませんので、以下の世迷い言でお許し下さい。私たちのクラスは140人前後の3クラスですが、出席者は4分の1程度の38名(医学部14名、歯学部24名)でした。入学式でお互いに顔を合わせてから51年目、卒後45年目の会ということになります。入学は1965年の4月です。当時、戸田建設の大きな垂れ幕がかかった医学部附属病院外来兼研究棟の外観はほぼ完成していて、お茶の水橋から見上げると近隣に並ぶものなしという雄姿でそびえ立っていました。入学後市川市の国府台にある教養部の門をくぐりましたが、立て看板の前で、2年生(医18)のMさんの舌鋒鋭いアジ演説の洗礼を受けました。国鉄運賃が区間10円から20円に値上げされた頃のことです。そして勉学に励みながら、医学部の方は何か月ものストライキの後1971年夏に卒業し、秋の国家試験を受けました。卒業式はなかったので、メタセコイアの木のそばのロータリーで卒業記念写真を撮りました。私たちが大学に入学したのは東京オリンピックの翌年で、日本社会の高度成長期と医学・歯学の長足の進歩に一致する時代を過ごした訳です。しかし、最高に素晴らしいと思った建物も40年もすると老朽化して取り壊され、今はもうありません。
 クラス会では、頭髪の変化と顔のしわに50年という年月が刻まれていましたが、まだ人物の特定が可能だったのは幸いです。幹事の安藤 興一先生の司会で会が始まり、お酒と料理を頂きながら、一人一人の近況報告となりました。書籍執筆や絵筆の才能を発揮して活躍している先生方や歯科診療から離れた方もおられました。また、病院経営のノウハウや高齢者としての日常を過ごす方法などの話もあり、勉強になりました。あっという間の3時間でした。諸行の無常は理であり、永遠に続くものはありません。すでに後進に道を譲った方々もおり、私たちもそのことをよく理解する年になりました。最後に、私たちのこの50年は医科および歯科同窓会の発展とともにあり、次の会には両同窓会長(理事長)をお呼びして開催することを提案したいと思います。

参加者

安達弦太、阿部 實、安倍信三、銘苅(安里) 幸子、安藤興一、石突正文、石山信之、井上 篤、上小鶴正弘、及川健彦、大野喜久郎、越智和子、加藤 侑、椛島悌蔵、金田一孝ニ、小高修司、小山隆夫、齋藤瑛子、齋藤 博、篠岡美長、佐々木 宏、佐藤親次、佐藤健次、佐藤多加夫、佐藤 尚、志田公司、鈴木眞知子、高橋文枝、田辺研吉、土肥嘉照、久光 久、福島芳枝、藤原睦憲、古屋良一、溝口万理子、三間清行、鷲塚 誠、渡邉建介

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